J-CRAFT 会社設立より今日までの歩み(会社沿革)
匠の道は、1970年、代表の大橋正利が自らコンテッサライトウエイトボディーを改造してジムカーナに参戦した時から始まりました。
その後、パブリカ、ファミリア経てサニーB-110をチューニングしツーリングカーレースに参戦。
自身もレース・ドライバーという異色エンジニアの道がスタートしました。
1973年、埼玉県川口市に株式会社ジェイクラフトの前身であるRS オオハシを設立。
多種の製造機の要素部品の製造に携わっていた機械工作技術を用いて、モータースポーツ関連のエンジンチューニング及びレースエンジンのサプライ、クランクシャフト 、コンロッド、バルブ、ピストン、カムシャフト、リフター、ロッカー、ギヤなどの試作、特殊部品の少量生産を開始しました。
ツーリングカーレースに於いては数多くのウィナーを生み、シリーズチャンピオンも獲得できました。
1979年、英国との試作関連部品のインポート業務開始。
1981年には、サニーB-110でTS(特殊ツーリングカー)に本格参戦。
富士グランチャンピオンレースのマイナーツーリングではメインコンテンダーとして日本のアマチュアレース界の一端を担い、盛り上げてまいりました。
また、コンストラクターとしての高い評価を得る事も出来ました。
それにより、ヒストリック・スポーツカーのヒーレースプライト(当時タルガフロリオのレースを走ったマシン)のメンテナンスを行うようになり、ヒストリック・スポーツカーのメンテナンスおよびレストア業務もおこなうきっかけになりました。
ヒストリック・スポーツカーのジネッタG12を初めて日本で走らせたのも当社です。
1984年、英国にミドルブリッジエンジニアリングを設立。
1987年にはイタリア人エマニエル・ピッロを起用し国内F3000レースに参戦し、
シリーズ2位を獲得いたしました。
時を同じくして、FJ-1600、F-3、グループAツーリングカーをメンテナンス、FJ-1600に於いてはシリーズチャンピオンを獲得いたしました。
1990年、埼玉県越谷市に本社およびファクトリーを移設。社名を株式会社ジェイクラフトと改名。
国内外コンシューマ向け少量試作部品の製作、モー タースポーツ関連部品製作、およびヒストリック・スポーツカーのメンテナンス、レストア業務の拡張をしました。
英国にミドルブリッジエンジニアリングと連携し、レースパーツ、ケーターハム・スーパー7、他英国車のパーツの輸入を開始。
トヨタのワンメイクレースであるFomula-TOYOTAに初年度からフル参戦しました。
1991〜2年、ブラバムF1に参加。ミドルブリッジレーシングがチームを運営。
ヤマハV12エンジンを搭載するなど日本色が濃いチームとなりました。
また、1995年英国レースライン社と技術・業務提携を結び、よりグローバルに車両やエンジン部品等の開発を開始、英国へミニ、MG,エリーゼ、ヒレー、アストン フォードKENT,
コスワースBDA、BDG YB、ロータスツインカムローバーKシリーズ アストンDB5等のレース用メタルガスケットを輸出。
1999年、本社およびファクトリーをさいたま市に移転。
2003年、この頃から海外でのレースサポートが増え始めます。フランスディジョン、ポー、ニュルブルクリンクレース、スパフランコルシャン6時間耐久レース、マカオ50周年記念レースに4台体制での参戦。
2004〜2008年には、ヨーロッパを中心にヒストリック・スポーツカーの海外レースをサポートしました。